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阪神・淡路大震災から30年

~ 社史50年史から当時を振り返る ~

   

阪神・淡路大震災の発生から30年がたちます。

 

1995年1月17日、淡路島北部を震源とするマグニチュード7.3の直下型地震が関西地方を襲いました。兵庫県南部地震による被害、すなわち阪神・淡路大震災は、戦後の日本が初めて経験した都市直下型の巨大災害でした。

 

2004(平成16)年に発行した当社の50年史から、当時のことを記した文章を引用します。

 

(ここから引用)平成7年(1995)1月17日午前5時46分、兵庫県の淡路島北部の地下約16km付近を震源とするマグニチュード7.2の地震が発生した。この地震により神戸市長田区の家屋の損壊と火災の発生、西宮市における高速自動車道の高架橋損壊・落橋など最も甚大な被害を受けた。この被害はさらに芦屋市、西宮市、大阪府、京都府、和歌山県にも及んだ。人的被害総計は死者6000名、負傷者4万3000名を超え、全壊家屋が約10万5000棟、半壊が約14万4000棟にものぼり、戦後最悪のきわめて深刻な被害をもたらした。

 

 当社も神戸支店の入居していたビルが甚大な被害を受け、震災後10日経った1月27日になっても、入居ビルでの業務再開の目途が立たないと報告された。また、西宮市にある当社西宮技術所は、建物には異常がなかったものの、図化機や現像機など写真処理機器および附属建物が大きな損害(被害総額約3000万円)を被った。社員の親族が2名亡くなったほか、住居被害を受けた社員は60名にも及んだ。幸いにも社員は全員無事だったが、こうした罹災状況下では関西地区での業務再開には時間がかかると判断された。しかし実際には、西宮技術所を業務地とする関西アジア航測㈱、アジアエンジニアリング㈱、アジアエアーフォト㈱の分室や協力会社の応援により、既受注作業への影響がなく済んだことは、アジアグループの結束力の賜物であった。

 

 一方、地震発生後の緊急災害撮影への対応も早かった。当日の午前9時に対策本部が設置され、午前9時30分には調布飛行場から当社の誇る高速機ガルフストリーム・コマンダー695型機を含む2機が震災現場に向けて飛び立った。撮影終了後、高速機は直ちに調布飛行場へフィルムを空輸、さらに厚木技術所の写真処理部門に運ばれ徹夜で現像・焼き付けを行った。翌1月18日午前7時には本社に、さらに本社営業部員の手によって、建設省本省と土木研究所に運ばれ、関係機関に提供された。

コマンダー

 

 この写真を見て被害の甚大さに驚愕すると同時に、全被災地の撮影が指示され、1月21日までの5日間で延べ約2000㎢、約5000枚のカラー垂直写真と、約1000枚の斜め写真を撮影した。このほか被災地復興のためにコンサルタントとして当社の技術を役立たせるべく、簡易モザイクや被災状況図、神戸市のデジタルマッピングにオーバーレイした被災状況写真図を作成した。また二次災害防止の緊急調査のため、六甲地区の渓流危険度調査や砂防堰堤点検、砂防地内の家屋被害調査、土石流災害対応点検に技術者を派遣し、その数は初年度で延べ4500人日にのぼった。

 

 こうした成果は、建設省はじめ自治体など関係機関で活用して頂いたほか、土木学会、日本応用地質学会、地学雑誌、「日経サイエンス」など10誌を超える学術誌や雑誌でも紹介された。さらに災害直後の航空写真から被災状況の実態を知ってもらい、災害復旧・復興ならびに震災解明に向けた学術研究に役立ててもらうために合計450枚(垂直カラー写真380枚、斜め写真50枚、説明用写真20枚)を厳選して収録した「阪神・淡路大震災 航空写真集」を刊行した。これも関係者に提供し、好評を得た。

阪神・淡路大震災 航空写真集

 こうした活動がスムーズにできたのも前年に作成したマニュアル「緊急災害撮影等の対応基準」があったからである。しかし、今までの災害対応には、当社ならびに当社の社員が被災者となるケースが想定されていなかった点が反省点として取り上げられた。阪神・淡路大震災は、こうした場合の連絡や指揮命令系統を見直す点でもよい教訓となった。(ここまで)

 

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当社では、伊勢湾台風被害(1959・昭和34年)のときから、大きな災害が起こるたびに率先して撮影することが伝統となっていました。それをシステマティックにするよう、阪神淡路大震災の前年、1994(平成8)年7月にマニュアルを全面改訂して「緊急災害等の対応基準」を作成しました。
その中に、幅広い人たちに使ってもらえるよう、ホームページで公開する、というものも含まれました。

 

リンク:[災害関連情報]1995年阪神・淡路大震災 被害状況

 

今回、改めて、当社が阪神・淡路大震災直後に撮影した写真を公開します。阪神・淡路大震災からの教訓を忘れることなく、防災・減災のための教育・研究などにお使いいただくことを期待しています。

 

 

●長田地区(1995年1月20日撮影)
 ブロックごと焼失したあとが複数残る。長田消防署前や新湊川沿いにたくさんの消防車両が見える。左下JR鷹取駅付近・右上神戸高速鉄道高速長田駅付近。

高解像度画像(7.36MB)

 

●阪神高速道路3号(1995年1月17日10時8分頃撮影)
 神戸線深江地区~打出地区。 阪神高速道路では3号神戸線で635mにわたって倒壊、4か所で落橋した。学校の校庭に避難している人々も見える。

高解像度画像(5.75MB)

 

●湾岸線(1995年1月17本11時47分頃撮影)
 地震動や地盤の液状化による噴砂・噴水と亀裂が見える。  

高解像度画像(4.92MB)

 

注:これらの画像は、1995年に編纂したアルバムから、簡易的に接合した写真で、正確な位置座標を保持しているものではありません。また、撮影方向に繋げたもので、上が北ではありません。 引用にはクレジットとURLを記載してください。 (c)アジア航測 https://www.ajiko.co.jp/yomimono/index202001.html


アジア航測は、人々の安全・安心な暮らしを実現するため、今後も緊急時に際し、情報の収集と提供を積極的に行って参ります。

2025年1月17日作成

 
 
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