初の撮影飛行は、創業から約半年後の昭和29年(1954年)8月22日に行われました。海上保安庁水路部の依頼で、広島県の福山港地区および明塚線を撮影しました。
航空機は北陸航空から単発のデ・ハビランド・ビーバー機(JA3080)をチャーターし、カメラは水路部より借用したものでした。同年9月10日には伊豆の天城地区で、当社が購入した最新鋭機材、スイスのウイルド社製のRC5a全自動航空測量カメラを初めて用い、青木航空のチャーター機、双発のビーチクラフト機(JA5002)により撮影を行いました。
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(昭和29年8月22日、福山港)
航空機の自社保有と安全管理の徹底
航空機を自社で保有、運航すべきだという考えに至ったのは、創業当初にチャーター機の遭難により貴重な人材を失うという苦い経験をしたことによるものです。
この遭難事故により、チャーター機に搭乗していた全乗員6名が犠牲となり、創業発起人の中心で、撮影士のエキスパートであった幹部など、技術の中心的な存在を失いました。この事故が、創業間もない当社に与えた人的・物的な衝撃は計り知れないものがありました。
この経験から、安全な業務体制を確保するためには、航空機は自社で保有、運航すべきという考えに至り、現在も自社保有機による安全運航の体制を構築し、徹底した安全管理のもと撮影する体制をとっています。