アジア航測のあゆみ
YEAR1963

社名変更と株式上場

経営
イベント
写真:弦巻作業所の拡張工事のため仮設の図化室での作業(昭和34年頃)
弦巻作業所の拡張工事のため仮設の図化室での作業(昭和34年頃)

「アジア航測株会社」の誕生

当社は、昭和33年(1958)以降、業績が着実に伸長していました。昭和37年(1962)には、すでにある札幌出張所(昭和32年4月)、福岡出張所(昭和33年9月)、大阪駐在所(昭和34年4月、翌9月出張所、昭和38年4月営業所に昇格)に加え、名古屋出張所(昭和37年4月)を開設しました。

創業以来の社名「アジア航空測量株式会社」から現在の「アジア航測株式会社」への変更はこの時期に行っています。その際、「梅北精機株式会社」を「アジア航測株式会社」と改称してこれを存続会社とし、アジア航空測量株式会社を吸収合併したというかたちをとりました。このため、当社の登記上の設立日は昭和24年(1949)年12月15日となっています。

写真:弦巻作業所(昭和37年9月頃)
弦巻作業所(昭和37年9月頃)
写真:昭和30年頃の弦巻作業所(中央)
昭和30年頃の弦巻作業所(中央)

株式上場

昭和37年(1962)、オリンピック景気に沸く一方、繊維や紙パルプ業界に不況が訪れます。翌昭和38年(1963)に入ると全般的に景気が後退していき、昭和39年(1964)には国際収支の悪化問題が再燃して公定歩合引き上げなどの景気調整策が強化され、官公庁需要に大きく依存する測量業界は、その影響を受けました。

そのような状況のなか、上場を果たしたのは、創立10周年となる昭和39年(1964)2月26日の翌日、2月27日のことでした。かねてより申請していた東京証券取引所から上場の許可がおり、市場第2部に株式を上場しました。

株式上場の翌年(1965)12月、第2代目社長であった柳沢米吉が4代目社長に再任し、「実力主義」と「人の和」を強調して、経費節減、エラーの削減、新市場の開拓による再建を図っていきます。本社を港区田村町から作業所のある世田谷区弦巻町に移転し、営業部門と技術部門を緊密化、一体化して業務の質を高めるとともに、さまざまな無駄を省きました。海外市場にも目を向けました。

写真:弦巻本社社屋建設地鎮祭(昭和38年)
弦巻本社社屋建設地鎮祭(昭和38年)

このような社員一丸となった努力が功を奏して、第18期(昭和39年10月~40年9月)の決算では、他の同業社にさきがけて回復の兆しがみえ、苦境を乗り切っていきました。

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