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■三宅島2000年噴火の経緯
 2000年6月26日午後6時半すぎ、突然、三宅島で群発地震の発生がはじまりました。過去には地震発生の2時間後に噴火している例もあることから、気象庁では、噴火の恐れが高いとして午後7時33分「緊急火山情報」を出し、警戒を呼びかけました。朝までには、三宅島の、坪田、三池、阿古、伊ケ谷地区の住民が、北の大久保地区に避難しました。27日午前0時30分の記者会見では、「数時間以内に噴火の可能性が強い」という見解が発表され、徹夜の警戒が行われました。幸いにも、危惧された山腹割れ目噴火は発生しませんでした。そして、6月27日の午前9時頃、三宅島西方約1kmの地点で、海底噴火が発生しました。  また、阿古から伊ケ谷にかけて、東西方向の地割が複数確認され、海岸の崖では数箇所のがけ崩れも確認されました。傾斜計やGPSの観測からも、今回マグマが貫入したことは間違いないと思われます。
 その後、三宅島の西の海域で群発地震が発生し、その位置は時間とともに西北西方向に移動していきました。そして、7月1日の午後4時すぎ、神津島付近でM6.4の最大の地震が発生し、神津島では震度6弱を観測しました。そのため、多数の崩壊が発生、1名の方が亡くなる災害が発生しました。
 7月8日午後6時43分、三宅島雄山で水蒸気爆発が発生、灰色の噴煙が東の三池方向に流れ、赤色の火山灰が堆積しました。噴火そのものは小規模で、10分以内で終了しました。朝になって、山頂部に噴出量に見合わない、直径1km弱の陥没火口(カルデラ状の地形)ができていることがわかりました。二重に落ち込んだ底に見られる灰色の山は、雄山火砕丘が原形を保ったまま落ち込んだものです。  さらに、7月14日の噴火7月15日の噴火は、小規模ではない水蒸気爆発で、大量の火山灰が島内に堆積しました。
写真-23 7月14日の噴火(青谷知己撮影)
写真-24 7月15日の噴火(青谷知己撮影)
 
 14日の噴火では北の神着方面に泥雨状の火山灰が降下堆積し、乾燥してモルタル状となり大きな被害となりました。また15日の噴火では、北東方向に大量の細粒火山灰が降下堆積し、一周道路でも5cmに達する量となりました。森林へのダメージは深刻で、中腹の鉢巻林道では倒木で通行できないところもあります。また、森林の保水力が低下しているために、雨が降った場合には、泥流や土石流の発生が懸念されています。
写真-25 鉢巻林道付近での降灰被害状況
7月9日と22日の比較写真 
写真-26 鉢巻林道の倒木状況
(ステレオ写真・千葉撮影)
 
7/21-23の降灰調査の写真
 これらの噴火後の、山頂の状況がどのように変化したのかが注目されていました。台風一過の晴天となった7月22日に、垂直写真、斜め写真の撮影をすることができましたので、以下に緊急紹介します。山頂の、陥没火口(カルデラ状の地形)は、さらに拡大し・深くなっているようです。  その後、7月26日の朝に短時間でしたが強い雨がふり、泥流が発生しました。警戒避難により人的被害こそなかったものの、いくつかの家屋では浸水被害を生じたほか、一周道路の数カ所で土石流の被害を受けました。現在、復旧工事が急がれています。
 

 

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