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みなさん、こんにちは。
アジア航測の会長大槻幸一郎、社長小川紀一朗をはじめとする森と水と大地をこよなく愛す仲間たちが紡ぐコラムです。
今回のテーマは、「航空機事故を忘れてならず -会津『結能峠』追悼参拝-」(大槻)です。

大槻会長
平成24年(2012年)の今年10月12日、会津の山中にある「結能峠(ゆいのうとうげ)」でアジア航測の創業期に航空機事故で亡くなられた方々の追悼碑に参拝した。
この航空機事故について、アジア航測50年史を参考に説明しよう。


我が社の創業は昭和29年(1954年)2月である。満州から引き上げて来た多くの航空測量技術者達の執念で生まれた会社であるが、当時の航空測量に対する効用など社会的認識はいまだ低く、わずかに東京電力や林野庁、防衛庁などからの受注でかろうじて黒字の第1期決算を昭和29年9月30日に迎えるはずであった。
アジア航測50年史
アジア航測50年史
アジア航測の創業期の様子
アジア航測の創業期の様子

その決算直前の9月25日に航空機事故が起こった。当時は自社機を保有しておらず、青木航空からチャーターした双発ビーチクラフトC18機が会津若松のはるか南方の、福島県南会津郡下郷町大内地内にある結能峠(「納」とも記すが、現在の地元表記に従う)付近で遭難し、同乗していた我が社の丸山取締役(45歳)、井上運航部次長(34歳)ほか他機関4名の合計6名が殉職した事故である。

遭難機は昭和29年9月25日午後4時54分、羽田を離陸した。同乗者は青木航空からパイロット(36歳)、機関士(36歳)の2名、発注者側の林野庁研究普及課課長補佐(42歳)、測量成果検収機関の日本林業技術協会測量指導部次長(39歳)の計2名、そして我が社2名の合計6名である。飛行目的は同年5月に発生した北海道支笏湖付近の国有林風害資料を得るための森林撮影とされている。使用した航空機は8月初めに輸入されたばかりで、また撮影カメラは当時日本唯一で、アメリカにもまだ無いスイス、ウィルド社製の全自動航空測量カメラRC5aを携行しており、我が社創立直後の大規模撮影であったことや、丸山取締役が創業前から林野関係の有望性を主張していたことなどから、受注業務にかけた意気込みにはただならぬものがあったとされる。

折から台風15号の到来が予報されていたために、先回りして北海道丘珠空港で待機し、台風一過の快晴日和に撮影を実行しようと考えていた。ところが台風15号は意表を突く速度(太平洋上を60km、九州上陸後90km、日本海では110km)で北上し、津軽海峡付近の厚い不連続線(前線)で同機の前進を阻み、止む無く東京に向けて転進した同機は、暗夜山腹に激突し機体は大破、同乗者6名はことごとく殉職した。遺品の懐中時計は1時10分を指して止まっていたとの報道記事がある。

この台風こそ、「洞爺丸台風」として北海道の国有林に膨大な被害を与え、青函連絡船「洞爺丸」を転覆させ1173名もの犠牲者を出した、我が国の台風災害史上でも深く歴史に刻まれている台風である。
遭難が確認されてから捜索打ちきりまでの5日間は、地上では林野庁の関連組織を中心とし、空からは民間航空機、海上保安庁、アメリカ空軍等の多くの機関の捜索が続けられ、日・米出動合計57回、延べ171時間余りに及ぶかつてない大捜索となったが機体発見には至らなかった。

機体が発見されたのは遭難の9月25日から半月後の10月9日午前10時頃、ヤマブドウを採りに山に入っていた少年によってである。
発見された状況
発見された状況

この事故が、創業間もない我が社に与えた人的・物的な衝撃は計り知れないものがあり、事業計画が完全に齟齬をきたすとともに、わずかながらに予定された黒字決算も一挙に吹き飛ぶことになった。倒産の危機も考えられるなかで、必死で会社を支えた諸先輩の努力・苦労は想像を絶するものがあったと思われる。しかしながら、これが今日のアジア航測の礎となっていることを忘れてはなるまい。

林道口にある遭難現場への案内柱
林道口にある遭難現場への案内柱
事故三回忌にあたり、林野庁の支援と日本林業技術協会の協力を得て、遭難地に追悼碑を建て我が社の礎石となった方々等の霊を慰めている。当時の社員は毎年現地に参ることが永く習慣として残っていたが、昭和58年9月(創業30周年)の高野山の慰霊碑建立を期にOBを中心に二年に一度、そして最近は不定期になっていた。今般、先輩諸氏に道案内をお願いし事故から58年目の追悼参拝が実現した。

参加者はOB会では仙台から参加した最高齢89歳の高橋常敏さんを始め9名、アジア航測の現役が6名、日本森林技術協会から加藤理事長の合計16名である。

亡くなった方の中に、林野庁研究普及課の課長補佐が居る。この組織は技術開発を所管している組織で、戦後の森林調査に航空写真を導入し近代的な森林管理体系を確立すべく、台風による森林被害(風倒木)の迅速な把握手法の開発を目指した調査ではなかったかと想像する。亡くなった方々は34歳から45歳までのまさに働き盛りの方々ばかりである。航空機で北に向かう機内での血気盛んな会話を想像するに、現役の我々は、彼らの森林航測に掛けた情熱に少しでも報いたいと思う。

さて、追悼碑までの林道が、極めてシッカリと管理されていることに参加者一同感謝した。とりわけ追悼碑の周辺は、今回の参加者が殆んど手入れする必要もないほどに整然と雑草処理がされており、追悼碑に対する林野庁の深い思いを感じさせられたところであった。一同、線香を上げて参拝ののち、2年後のアジア航測創立60周年と併せての追悼式典を誓って現場を後にした。

追悼碑までの山道を登ること15分余り
追悼碑までの山道を登ること15分余り

到着後、手際よく追悼碑の周りの草刈、掃除を進める先輩諸侯。 現役はただたたオロオロするばかりだが、「だれでも経験が第一、初めは勝手知らずでゴメンナサイだ」
何故このような事故が発生したのであろうか。今となっては想像の域を出ないが、青函連絡船も転覆事故を起こしたように、当時の台風情報等の気象予報の体制がまだまだ十分整っていなかったことと、業務完遂に向けた熱き一心の思いに尽きるのであろうか。現在の気象予報は当時から比較すれば格段の進歩が見られるであろうが、昨今の台風も急速に速度を上げるものがあったり、全く動かなかったりするものもあるなど、大気の変化の予測を苦しめるものが残っているようでもある。今後の航空機の安全運航に向けては、これまで以上に細心の注意を払った気象情報収集と、的確な判断が求められている。それにしても、何故に羽田の離陸が午後5時近くになったのか。もっと早い時間で離陸が出来なかったのかの疑問が残るのは私一人ではあるまい。

この事故をきっかけに、経営苦境のさなかにもかかわらず、当社は事故同年12月にあえて航空機を購入した。チャーター機遭難の苦い経験から、航空機は自社保有にすべきという考えに至ったのである。それ以降、安全管理を徹底し、航空大手3社では唯一自社航空機を保有し、災害発生時の緊急撮影にも対応できる体制をとっている。


追悼碑を囲んで参加者全員
追悼碑を囲んで参加者全員


以上、追悼参拝の報告であるが、折角の機会でもある。福島県会津の良さも少しはPRしておこう。ではこれからは、写真を見ながら僅かな旅を楽しんで頂こう。

会津田島駅
会津田島駅舎
東武浅草駅から目的地の湯野上温泉駅までは約5時間の旅。
列車も4時間も座るとマイッテしまうが、乗り換え駅で到着したのが会津田島駅。
 
 
 
 
 
宿泊したのは湯野上(ゆのかみ)温泉。駅舎は萱葺き屋根で足湯付き、
囲炉裏も中で赤く炎を上げているド田舎を演出。
 
 
 
 
 
追悼碑から山里に下った集落に大内宿がある。
下野街道(今市~会津若松)の宿場町の一つで、
重要伝統的建造物群保存地区として 保護されており、江戸時代の面影を伝えている。
 
 
 
 
 
会津地方は日本でも有数の蕎麦の産地である。
同時に山都(やまと)の水蕎麦などチョット変わった食べ方の蕎麦があるが、紹介する「ねぎ蕎麦」は超一流の変わり蕎麦といえよう。

箸の代わりに、ネギ一本を使って蕎麦を食べるのである。出てきたネギは、先端の白い部分がちょこんと曲がっており、ここに蕎麦を引っ掛けて食べる。食べるというよりはススリ飲むと言った感じであろうか。蕎麦はシッカリとコシがあり、ツユも甘系でダシもきいている。蕎麦の上に載っている大根おろしの辛味がツウには少し物足りないが、その上の鰹の削り節の香りが絶品だ。ところでネギはどうするのか。小生は白い曲がった先端から順次、薬味代わりに食べてしまい、先端の緑色部分だけを少し残したが、むしろ先に緑部分から食べて、最後に白の鍵部分を食べるのが合理的ではなかったのか? それにしても、実に美味しい蕎麦であった。
 
 
 
 
 
宿泊地の隣駅が「塔のへつり駅」である。
「へつり」とは切立った崖を称するのであるが、関西弁では削り取る事を剥る(へつる)と言うらしく、語源は西から来ているのかもしれない。従って「塔のへつり」とは切立った崖が、塔のように並んでいる事を言うのだそうで、国指定の天然記念物になっている。
 
 
 
水面から5m程上には遊歩道が掘削されており、スリル満点の散策を楽しめる。
スリルといえば崖の割れ目にスズメバチの巣がボール状になってぶら下がっているのが目に入った。
これに急襲されたら命がけで逃げるしかないが、観光客は皆ノンビリとしたものである。
 
 
紅葉の時期には少し早かったが、秋の森の収穫物はキノコ。
お土産売り場には、珍しい天然舞茸が並んでいた。
 


空とぶ森とみずと大地と
次回もお楽しみに!