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創立記念日にあたって

~ 創業の苦労を共にした 倉持玉之助 の言葉 ~

   

2月26日は当社の創立記念日です。

昭和29年(1954)、当時としては戦後2番目の規模の資本金を集めて外国の機材を導入しようという、大冒険で狂気の沙汰と思われる創立。

出資者が現れては消え、消えては現れる、困難な道のりを経て、アジア航空測量株式会社は誕生しました。


この2月の始め、仙台の佐藤陽子さんという方から当社ホームページにお問い合わせをいただきました。
「宮城県内初の民間飛行士高橋今朝治が倉持氏と2人、昭和3-5年に撮影した宮城県内の空撮を飛行士の長女からお預かりして、調べております。」とのこと。
2月18日に開催された近代仙台研究会第2回発表会で「宮城初の民間飛行士-空から見た昭和初期の郷土」と題して報告するための調査でした。
「裏側に飛行機スタンプ(二人の名前入)が刻印されている空撮や、東北帝国大から池袋の倉持氏あて空撮発注葉書も残っています。他に、被災地沿岸のものが多
く、非常に貴重な画像が残っております。」


左写真:航空会スタンプ 右写真:津島寿一氏に航空写真測量の説明をする倉持研究員(右)


  

この機会に、当社設立に尽力した倉持玉之助を追いかけて、年史を広げてみました。
倉持玉之助は、人生の半分を航空写真と共に過ごし、黄綬褒章を授与された方。
昭和49年に発行された当社の20年史「二十年の歩み」では、創業の苦労を共にした創立当初の社員の筆頭に名が掲げられています。
また、その文中、
「倉持氏は、我が国航空測量の草創期より現在に至るまで、その間、各種機械の試作研究を完成し、わが国の航空写真測量技術の向上発展に寄与することが非常に大きかった。主なものは次のごとくである。
一、昭和3年、自費により日本航空写真研究所を創設、軍用機の払い下げを受けて航空写真の撮影を開始した。
一、昭和18年「航空写真測量における連続写真により得られるべき空間地貌を描画する精密製図機」特許157032号
一、昭和19年「クラモチグラフ」(航空写真図化機)特許175592号
・・・」
と偉業が列記。
会社では、頑固だが仏のような人という感じで、毎日規則正しく行動し、やはり精密機械を設計する人は日常生活からして時を刻んでいるのかと思われるような人物だったそうです。(50年史より)

さて、この仏のような方が、胸に熱い血をたぎらせ、鳥のように空から眺めた地上の写真を撮るというロマンを追いかけた若きころ。
設立したばかりの日本航空写真研究所で、飛行機を入手したりカメラを改造したりの奮闘の様子が、同じく当社の当時調査課長西尾元充のペンを借りて「航測あ・ら・かると あるロマンチストの話」(1960,1962 日本林業技術協会測量指導部発行「森林航測」23号,31号)で語られています。
当時は「飛行機というものが、今(1960年)のロケットほどに珍しがられた時代」。そこで写真を撮るなんて仕事を立ち上げ、空を飛びながら詩を詠むなど、驚きのロマンチストですね。

「航測あ・ら・かると あるロマンチストの話」(1960年)にこんな文章があります。

早いもので、あれからもう30年以上の月日が流れました。全く夢のようです。現在航空写真がこんな発展するとは夢にも思いませんでした。貴方達も大部分は覚えているでしょうが、この仕事は草分けの時代から今日までの長い間に、黙って空の彼方に死んでいった沢山の先輩の努力の積み重ねだということを忘れちゃいけないと思いますよ。

クリノグラフについて説明する倉持玉之助研究員(左から2人目)





アジア航測は、安全安心で豊かな社会に貢献できるよう、先達から引き継ぎ培った技術をさらに磨き、今後も活動を続けてまいります。



引用:西尾元充, 1960, 航測あ・ら・かると あるロマンチストの話, 日本林業技術協会測量指導部発行「森林航測」23号

   日本森林技術協会デジタル図書館 情報誌森林航測 http://www.jafta-library.com/m-html/mkousoku/index.html


 
 
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