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みなさん、こんにちは。今村遼平です。
今回のテーマは「津波被害を受けやすい土地」です。

M9.0というわが国で初めての規模の東日本大震災、それによる死者・行方不明者1万9000人余りの大部分が地震津波によるものです。「プレート境界性の巨大地震」の発生場所は、大まかには想定されたところでした。だが、中央防災会議もこの地方の地震の規模はM8クラスを想定していて、それによって発生する津波も海岸での波高10m程度と考えていました。

ところが、現実にはその30倍のエネルギーに当たるM9.0の巨大地震が起きてしまいました。政府の地震調査研究推進本部(地震本部)も、M9は予想もしていませんでした。「想定外」だったと言うわけです。しかし世界では、これまでチリやアラスカ、インドネシアのスマトラ沖(2004年のインド洋大津波を引き起こした)などでは、M9.0を超える地震が起きています。最近の調査によると、日本でも869年の貞観地震では、それに近い地震(M8.6)が起きていたことが明らかになっています。



 

津波はどうして起こるのでしょうか。 津波は断層ができるなどの変位が海底で起き、そのときの瞬間的なギャップが波となって四方へ広がるものと考えられています。

その際の伝わる速度や進行方向・波高などは、海底地形に左右されます。たとえば、水深4000mの大洋ではジェット機並みの時速700km、8000mの海溝では時速1000kmで進みます。その間の波高は大きくても5m前後と小さいのです。ところが、水深1000mのところでは1mしかなかった波の高さも、水深10mの海岸に押し寄せるときには、その約3倍の3mになります。このため、震源地での断層のズレそのものは数10㎝から1m前後に過ぎなくても、海岸に達するときには、数mの高さになるのです。

また、津波の押し寄せる湾の形(湾口と湾奥の幅の変化)によっても、波高は高まります。たとえば、湾の入口の幅が1000mのV字型の湾に押し寄せた津波の波高は、湾の幅が100mに狭まったところまでくると、約3倍になります。したがって、湾口での波高は3mに過ぎなかったとしても、湾の幅が100mのところに押し寄せてきたときには、9mの波高になっているというわけです。

M9.0であった3・11被災時の湾口の波高が5mであったとすると、湾奥の海岸沿いの波高が15mを超えていたという事実も納得がいきます。

このように津波の波高は、水深が浅くなるほど、また湾の幅が狭まるほど高くなるため、沖合では大した波高でないようでも、海岸に押し寄せたときには、予想以上の高さに達するものです。それに、普通の波浪や高潮の波の波長は数10mとか数100mといったオーダーですが、津波の波長は東日本大地震の多くの映像でも明らかなように、数kmから数10㎞と長いため、津波が陸を襲うときには「海の壁」が押し寄せてくるものであって、いわゆる“波形”はしていません。この点も大きな違いです。

 


津波の波高は、海岸の形によっても著しく変わることが分かっています。ふつう①三陸地方のリアス式海岸に多いV字型、②U字型、③直線的海岸の順に、湾奥での波高は高くなります。また当然、湾が津波の来る方向に開いている場合には、波高は高くなるし、逆に直交する方向に開いている場合には、やや低くなることはいうまでもありません。しかし2011年のM9.0時の東北地方の津波被害を見ると、③の直線的海岸である仙台~福島海岸でも津波の波高は14.5mに達しています。たとえば福島県新地町の漁港では16m、問題となった福島第一原子力発電所でも約14mになっています。ということは、M8.0を超えてM9.0になると、たとえ遠浅の直線的な海岸であっても、被害はきわめて大きくなると考えておくべきだということが分かりました。

海岸に到達した津波はスピードと勢いがあるため、海岸部の地形に従って、津波の波高よりかなり高いところまで遡上します。遡上の仕方も海岸の地形によって違うので、対象とする土地が次に述べるような海岸のうち、どれに当たるかを頭に入れておくことが大切です。

 


⑴河口付近

川に沿って遡上する津波は、最も陸奥まで到達します。このため、河口付近や河川下流の低地での津波被害は、非常に大きくなりやすい。たとえば、1960年のチリ津波の際、北上川では津波は15㎞上流まで達しています。この間に2mの波高の減衰がありました。さらに2011年の東日本大震災時には、40㎞上流にまでその影響は達しているのです。

古記録によると、明応八年(一四九八)の明応地震の津波では、伊勢大湊に注ぐ豊川を3.5㎞もさかのぼり、上流の長屋(なんがい)あたりまで達したと伝えられています。1983年の日本海中部地震の際、秋田県能代市北方にある水沢川では、遡上した津波は海岸から500m奥の田畑にまで被害をもたらしています。

一般には、大河川では約5㎞遡上したら1m、中小河川では500m遡上して1mくらい波高が減衰すると考えておけばよい。つまり、大河川ほど上流側まで高い波が到達するわけです。川が途中で津波の到達方向に斜交~直交していると、その付近で破堤したり、堤防を乗り越えて溢流氾濫しやすくなるし、付近に架かる橋も当然、被害を受けます。

 

⑵砂浜や普通の海岸平野

海に面する勾配が1000分の1(1000m行って1m高くなる勾配)程度の海岸平野では、1㎞遡上して1~1.5mくらいの波高の減衰があります。たとえば、1703年の千葉県沖で起きた元禄地震の際、九十九里浜での波高は5~6mだったのですが、津波はそこから約4㎞の内陸まで到達しています。もちろん、海岸の前面に波高よりも高い砂丘や砂州、あるいは防潮堤などがあれば、ほぼそこで止まるわけですが、それらを上回る波高があると、それらを乗り越えて侵入し、背後の平野部に氾濫します。元禄地震では、津波は九十九里浜沿いに伸びる3~4mの砂丘を乗り越えたり、中小の河川を遡上して浸入し、砂丘間にある低地部に氾濫して、多くの犠牲者を出しました。

東日本大震災時の津波を見ると、旧地形図上で河川であったところや沼沢地・湖沼であったところを埋立てたところは、ことごとく被害を受けて、旧地形に戻った観があります。埋め立ての進んだ地域では、旧版地形図を見るのは津波に弱い場所を知るのに大変参考になります。

 

⑶傾斜の大きい海岸平野

海岸から発達する中小河川の谷底平野や、1000分の5(1000m行って5m高くなる)以上の勾配を持った海岸平野は、たいてい小さく湾入して入江になっていたり、谷底平野が三角形をしていたりするため、湾奥での津波の波高は高くなりやすい。少なくとも海岸での波高より数m高いところまで達すると考えるべきです。

たとえば、宮城県気仙沼市・大島の田中浜では、1896年の明治の三陸津波で標高9m近くまで遡上していますし、同じく1933年の昭和の津波では、標高4.2~4.4mのところまで到達しています。東日本大震災では、陸前高田市で15m、南三陸町志津川で16m、女川町で18.4m(女川病院)の高さまで遡上しているのには驚きます。

このように、V字型、U字型に湾入した海岸部では、津波に対してとくに注意が必要です。

 

⑷段丘背後の平野部や、護岸のある埋立て地

海岸線沿いに発達する段丘の背後にある平野部や、高い護岸(防潮堤)のある埋立て地はM7クラスまでの津波では比較的安全ですが、それでも当然、段丘や護岸の高さを乗り越えた分は、⑵で述べた砂浜や普通の海岸平野と同様の浸入・氾濫をすると考えるべきです。

 

従来、頻度の比較的高いM7クラスの地震時には、平地ではコンクリートの三階建てのビルへの避難を呼びかけていました。しかし、東日本大震災のことを考えると、東北の太平洋岸や東海地震・東南海地震・南海地震の想定されている地方の海岸は、プレート境界性の巨大地震(8クラス以上)が想定されていますから、三階建てのビルはもちろんのこと、比高20m程度の段丘以上でないと危険性が高いと見るべきでしょう。

また埋立て地の場合は、1993年の奥尻島・青苗(あおない)の例のように、地震動やそれに伴う地盤の液状化によって、護岸自体が破壊されないかどうかが問題となりますから、この点の検討も非常に重要になります。

 



今村センセイの地震タテ横ななめmini
 2013年5月23日発刊「安全な土地」
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