アジア航測|空間情報コンサルタント

 
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5.アジア航測のなりたち(S30-40年代初)

アジア航測は東京証券取引所市場第二部に上場しています。上場許可がおりたのは、創立10周年となる2月26日の翌日、昭和39年(1964)2月27日のことでした。

 

昭和39年(1964)は、東京オリンピックの開催の年でした。そのころ、日本経済は一般にオリンピック景気と呼ばれる好況期を迎えていました。

昭和35年(1960)、第一次池田内閣は、「10年間で所得を倍にする」という所得倍増計画を打ち出しました。これに伴い、調査・測量作業の需要も急増し、この時期、弊社は国鉄の依頼による東海道新幹線のルート選定と設計用の航空測量(昭和35年・1960~)や日本道路公団の東名高速道路のルート選定及び道路設計のための航空測量(昭和37年・1962)などを行っています。
 

弊社は、昭和33年(1958)以降、業績が着実に伸長していました。昭和37年(1962)には、すでにある札幌出張所(昭和32年4月)、福岡出張所(昭和33年9月)、大阪駐在所(昭和34年4月、翌9月出張所、昭和38年4月営業所に昇格)に加え、名古屋出張所(昭和37年4月)を開設しました。

 

創業以来の社名「アジア航空測量株式会社」から現在の「アジア航測株式会社」への変更はこの時期に行っています。その際、「梅北精機株式会社」を「アジア航測株式会社」と改称してこれを存続会社とし、アジア航空測量株式会社を吸収合併したというかたちをとりました。このため、当社の登記上の設立日は昭和24年(1949)年12月15日となっています。

 

昭和37年(1962)、オリンピック景気に沸く一方、繊維や紙パルプ業界に不況が訪れます。翌昭和38年(1963)に入ると全般的に景気が後退していき、昭和39年(1964)には国際収支の悪化問題が再燃して公定歩合引き上げなどの景気調整策が強化され、官公庁需要に大きく依存する測量業界は、その影響をまともに受けました。そして、東京オリンピックが終わった直後から、景気は下降の一途をたどり、日本経済は当時「戦後最大」と言われた難局を迎えることになります。

 

昭和39年(1964)2月27日、かねてより申請してあった東京証券取引所から上場の許可がおり、当社は市場第2部に株式を上場しました。

 

一方、航空測量業界では過当競争が繰り広げられ、ひいては業界そのものの不況を招いていました。こうした、いわば二重の不況の渦の中で、弊社は大変厳しい経営状況に陥りました。

 

弦巻本社社屋建設地鎮祭(昭和38年・1963) 

本社の作業風景(昭和41年・1966)

 

 

 

株式上場の翌年(1965)12月、第2代目社長であった柳沢米吉が4代目社長に再任し、「実力主義」と「人の和」を強調して、経費節減、エラーの削減、新市場の開拓による再建を図っていきます。本社を港区田村町から作業所のある世田谷区弦巻町に移転し、営業部門と技術部門を緊密化、一体化して業務の質を高めるとともに、さまざまな無駄を省きました。海外市場にも目を向けました。

このような社員一丸となった努力が功を奏して、第18期(昭和39年10月~40年9月)の決算では、他の同業社にさきがけて回復の兆しがみえ、なんとか苦境を乗り切っていきました。

ガーナでの活動(昭和40年・1965)