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3.初めての緊急災害撮影(S34)

アジア航測では、大きな災害が発生した場合、率先して航空写真等の撮影をすることを心掛けています。かつて第8代代表取締役社長の大森茂は、「常日ごろ官公庁の仕事でお世話になっているのだから、災害時にいち早く撮影し、復旧対策のお役に立つように」と口癖のように言っていました。

 

平成23年(2011年)の東日本大震災での対応は記憶に新しいところですが、このほかにも、平成7年(1995年)の阪神・淡路大震災、平成8年(1996年)の北海道駒ケ岳の噴火、平成11年(1999年)広島県豪雨災害、平成12年(2000年)の三宅島噴火、直近では、平成25年(2013年)10月の東京都大島町で発生した台風26号による土砂災害など、大きな自然災害が発生した場合には、被害状況を正確に把握することが防災・復旧対策にとって重要と考え、当社は独自の判断で自主撮影を行っています。

 

自主撮影写真(左から:阪神・淡路大震災、有珠山噴火、東日本大震災)

 

 

 

 

当社が初めて緊急災害撮影を実施したのは、昭和34年(1959年)の伊勢湾台風による被害状況の撮影までさかのぼります。その撮影は、当時最先端技術の赤外線航空写真によるものでした。

 

赤外線航空写真については、そのころ、当社研究部の西尾元充が東京大学生産技術研究所の丸安研究室で、カラー航空写真と赤外線航空写真による地質調査の研究を行っていました。当社では、この成果を受けて、昭和33年(1958年)末、スイスから赤外線撮影専門のカメラ、インフラゴンを当社が日本で初めて購入し、先駆的に活用していました。


当時、航空写真撮影で活躍していた自社航空機

左から:DHCビーバー(JA3080)、ビーチクラフトC185(JA5032)

   
 

昭和34年(1959)、9月21日にマリアナ諸島の東海上で台風15号が発生しました。この台風は伊勢湾台風と呼ばれ、9月26日から27日にかけて、日本の広い範囲で大きな被害をもたらしました。猛烈に発達して非常に広い暴風域を伴った台風は、最盛期を過ぎた後もあまり衰えることなく北上し、26日18時頃和歌山県潮岬の西に上陸し、その後6時間余りで本州を縦断しました。

特に愛知県では、名古屋市や弥富町、知多半島で激しい暴風雨の下、高潮により短時間のうちに大規模な浸水が起こり、死者・行方不明者が3,300名以上に達する大きな被害となりました。 また、三重県では桑名市などで同様に高潮の被害を受け、死者・行方不明者が1,200名以上、この他、台風が通過した奈良県や岐阜県でも、それぞれ100名前後の方が犠牲となりました。

 

この時、当社は広域にわたる浸水被害状況を赤外線航空写真でとらえ、復旧に協力しました。これが当社にとっての初めての緊急災害撮影となりました。

この貢献に対して、後に建設省中部地方建設局(現・国土交通省中部地方整備局)から当社に感謝状が贈られました。

 

初めての緊急災害写真(昭和34年)

伊勢湾台風による浸水被害を示す名古屋市内の白黒赤外線写真(黒い部分が水没)