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秋田航空ヘリ 伊藤孝機長の証言

1997年5月26日15時30分、秋田航空社屋にて、千葉・林が面談。

林のメモ(黒)を基に、千葉が自分の感想(インデント)も加えて、かなり加筆(赤)。


 1997年5月11日7時41分

 アエロスパシアル社製のヘリコプターAS350で,秋田空港を出発。この時間は飛行記録に残っている。ヘリコプターに附属の時計で計時。平松整備士(写真の撮影者)および秋田朝日放送のテレビカメラマン同乗した。澄川温泉における前日の地滑りによる建物被害を撮影するのが飛行目的だった。伊藤孝機長は操縦席(前右),平松整備士は前の左の席についた。秋田朝日放送のテレビカメラは右後方にスタンバイした。

伊藤さんは、秋田航空随一のベテランパイロットで、今回の証言は的確で、はっきりした事実と、自分の推定とが明確に区分されており、科学的に十分信頼に足るものであると思われた。

 こ日は強い西風(300度方向)が吹いており、約15m/sほどだったと思う。その追い風に乗りいつもより早く、澄川温泉付近に到着した。時刻は、おそらく8時を少し回った頃だったのではないかと思う。この時刻は時計を見たわけではなく、距離と速度から推定した大まかな時刻である。従って5分程度の誤差を含みうる。もし、私の感覚よりも追い風がもう少し強かったなら、もう少しはやい時刻に到着した可能性がある。

 下流のトロコ温泉付近から道路沿って南に向かって飛行してきた。しかし、澄川温泉が道から少し離れた谷の中にあるとは思わずに、道路に近い方ばかり探していたため、なかなか見つからなかった。そこで、後生掛温泉付近まで来たところで方、大きく北に右旋回反転した。

 ちょうどその瞬間、機体左前方で水蒸気が上がって東に流れているのが見えた。たなびいているようで、形は普通の積雲のような形だった。ところが、突然、位置的にはやや左から水柱があがった。音は、聞こえなかった(ヘリコプターの内部は非常に騒音が高いので、そのためだと思う)。その、水柱は白く、周りに飛沫のようなあるいは湯気のようなものを伴い拡がりながら上がった。その様子は、水のような液体が水煙を伴いながら上昇したように見えた。同乗していた人はおそらくみんな、間欠泉のようなものだと感じたと思う。この最初の間欠泉は5〜6秒継続した。この噴泉の到達高度は、概略で地表から120〜150mと思われた。

 10秒ほどおいて、再び水柱のようなものがあがった。今度は中に黒い煙のようなものが混ざっていた。この2度目の噴煙の状況は、前方左の席にいた、平松氏により撮影された。写真は2カットあり、最初の1枚には、噴泉の中にコックステイルジェットの様なものが見える。2枚目は、その直後にやや先端部に白煙を生じている瞬間である。

平松さんは、常日頃から、カメラを携帯しスナップを撮っているということで、ヘリコプターの前方の風防越しではあったが、光の反射も入らない的確な撮影であった。

 この2カット目の写真が、新聞・テレビ等で大きく報道されたものである。撮影位置は大沼湖東岸付近上空であると思われる。

 この位置に関しては、写り込んでいる尾根の木の位置関係からも確認される

 この2度目の噴泉は、5〜6秒継続した。この時の風は西風(300度→確認中)で15m/sほどだった。噴煙を大きく東側に迂回した所ヘリコプターの風防に雨が当たった。雲もないのになぜ雨が降るのだろうと、とてもに不思議に思い、何度も青空を見上げてしまった。あとで、乾くと1cm径くらいの白い跡がたくさん残った。その時はじめて、火山灰が付着したのではないか、先ほどの間欠泉のようなものは噴火だったのではないかと思い当たったという。

 実際、この地すべりに伴って発生した水蒸気爆発の瞬間を上空からの撮影に成功したのは、この平松整備士だけだった。彼が撮影したのは2枚だけであり、2度目の噴泉の状況を、連続的に捉えたものである。この時間、上空に他のヘリコプターやセスナいなかった。機長によれば、「県のヘリコプターもほぼ同じ時刻にこちらに向かっていたのは知っていたので、周りを見回したが、それらしい姿はなかった。おそらく、鹿角方面に着陸して、偉い人を載せているのではないかとおもった。」との事である。従って、水蒸気爆発の瞬間を上空から捉えた映像は、まさにこの2枚しかないのは確実である。

 この段階では、まだそこが澄川温泉の場所であることに気がついていなかったので、どこか別の場所にある、間欠泉が吹いたと思ったという。それで、澄川温泉ならば、間欠泉などがあるはずがないと思いこんでいるから、「どうやら場所を間違えたらしい、もう一度澄川温泉を探すために下流からたどり直すことにしよう」という事になった。その時、同乗していたテレビカメラマンはすでに防振架台上にカメラをセットしビデオもスタンバイ状態だったが、機長の「旋回してそちらから良く見えるようにしますから、(間欠泉のようなものを)撮影しますか」という問いかけにたいし、がんとして(「地滑りを撮影しに来たのであるから、このような間欠泉などは撮影しない。」というニュアンスなのか)、最後まで撮影しようとはしなかったという。貴重な瞬間の映像記録が、得られていたかもしれなかったのにまことに残念である。後日、平松さんの写真が有名になり、その秋田朝日放送から放送で使いたいので貸してくれないかという申し込みがあった時も、「あの噴煙が上がった瞬間、あなたの社のテレビカメラマンも同じヘリコプターに同乗していた。しかも、私が撮れるように機をわざわざ旋回させようとしたにもかかわらず、それを無視しあえて撮らなかった。そんなにも撮りたくない社に、いまさらその写真を渡す理由はない。必要だったのなら、その時に撮れば良かったではないか。」と、言って、決してその写真は渡さなかったのだと言っていました。

機長の「せっかく映像記録がとれる機会だったのに・・・」、という無念の思いが伝わってくる。

後日談:先日(5月31日)、秋田朝日放送の別の記者と話をする機会があったので、この話をした上で、赤川温泉の流されている映像はないのかと聞いてみたところ、「ええ、その映像もないんです。」とのことだった。これほどの映像を撮らないというのは、カメラやビデオなどのハードのトラブルだったのかもしれない。いずれにせよ、その直後に到着した、秋田県の防災ヘリの写真や、その後のABSやIBC等の映像を詳しく解析すれば、流れのイメージがもう少しわくかもしれない。

トロコ温泉を経由後澄川温泉に向かって赤川を遡る。赤川温泉はもうつぶれていた。平松さんはその映像も撮っている。

そのスナップ写真を見ると、赤川温泉の形は、最終的な現在の状態ではなく、建物の配置も異なっており、まさに流されつつある瞬間の映像と思われる。建物の下流側にも、温泉余土の青いブロックが幾つか見られる。現在その付近は、土石流によって浸食されており、ブロック状の流れ山などは残されていない。

 再び、澄川温泉付近に到達。温泉の建物の姿は、何もなかった。先ほど澄川温泉を離れてからわずか、4・5分後のことである。澄川温泉付近の先ほどの噴煙はすでに消え、ほぼ南北に並ぶ、3つの噴気が見えた。噴気の間隔はほぼ100mだった。噴気はほぼ真っ直ぐに立ち昇ってっていた。この映像は捉えられていない。

この噴気の位置と数は、5月23日に見られた噴気孔のそれとおおよそ一致するようである。5月23日に見られた噴気の位置は、噴石の飛来方向や、火山灰の層厚変化から推定した火口位置とほぼ対応していた。したがって、この時の3本の噴気は、火口から立ち昇っていた可能性が高い。

いったん秋田空港に戻った後、再び12:05再度、秋田魁新報の取材で、澄川温泉上空に到着した時には、この3つの噴気は全く見えなかった。この時、澄川温泉北東の樹木が白く汚れているのに気がついた。おそらく,朝見た時には火山灰が濡れていたので、見えなかったものだろうと後に考え至った。

 それで、同乗していた、秋田魁新報の記者に、「先ほど来たときには、ちょうど間欠泉の様にに白い噴煙のようなものが上がってとても驚いた。その直後に、雲ももないのに雨に当たって、風防が点々と白くなった。」とはなしたところ、極めて大きな興味を示し、そのフィルムを貸してくださいということで、未現像のフィルムまま、手渡した。

その後、噴煙がとてもうまく写っていますよということで、大スクープになったのだという。

 
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