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2000/07/05

「平成12年(2000年)神津島・新島地震」災害状況(2000年6月)

神津島地震災害
2000年7月3日撮影
2000年7月5日作成 ver1.3
 7月3日13時頃に、神津島の斜め撮影を実施いたしました。雲で天上山山頂付近はみえておりません。おもに、海岸沿いの斜面崩壊の映像について紹介いたします。
 2000年6月26日午後6時半すぎ、東京都伊豆諸島三宅島で群発地震の発生がはじまりました。1983年の噴火の時など、地震発生の2時間後に噴火している例もあることから、気象庁では、噴火の恐れが高いとして午後7時33分「緊急火山情報」を出し、警戒を呼びかけました。朝までには、三宅島の、坪田、三池、阿古、伊ケ谷地区の住民が、北の大久保地区に避難しました。幸いにも、翌27日朝までに危惧された山腹割れ目噴火は発生しませんでしたが、午前9時頃、阿古西方約1kmの地点で、変色水域が確認されました。また、阿古から伊ケ谷にかけて、東西方向の地割が複数確認され、海岸の崖では数箇所のがけ崩れも確認されました。これらの現象と傾斜計やGPSの観測結果を総合すると、三宅島の西側にマグマが貫入したと思われました。三宅島の状況については、三宅島2000年噴火のページをご覧ください。
 その後、三宅島と神津島の間の海域で群発地震が発生し、その位置は時間とともに西北西方向に移動していきました。そして、7月1日の午後4時すぎ、神津島付近でM6.4の最大の地震が発生し、神津島では震度6弱を観測しました。そのため、島内各地で多数の崩壊が発生、1名の方が亡くなる災害が発生しました。
 アジア航測では、直後の7月3日に斜め写真撮影を実施、7月4日には1:5000の縮尺で、島内全域の垂直写真撮影を行いました。
 このページでは、これらの写真を順次、緊急公開します。防災対策や崩壊メカニズムの研究に役立てていただければ幸いです。
情報量を重視して大きめの画像(XGAサイズ)にリンクしています。


写真-1 神津島西海岸、長浜北にある阿波命(あわのみこと)神社の北西の道路で発生した崩壊
古い溶岩ドームにアバットして堆積した、天上山起源(主に)の火砕流堆積物が、
震度6弱を記録した強い震動によって、地すべり的な崩壊を起こしている。全景写真

■神津島の斜面崩壊状況(7月3日撮影斜め写真)
写真-2 沢尻湾北の背負崎(さぶざき)の崩壊
固結した流紋岩の崖の上部にある、未固結の火砕物が崩壊を起こした。右側の対策工事が行われていた斜面では落石はほとんど見られないが、左側の未着手の部分では落石が道路を越えている。
no.8-10
写真-3 神津沢付近の崩壊
右側に見える神津沢は、島内最大の渓流で、天上山起源の土砂を大量に堆積させている。左側の那智山溶岩ドームのへりの急斜面には、複数の崩壊が生じている。
no.11-8
写真-4 天上山南東斜面の崩壊
神津島の中央部にある天上山は標高571mの、8世紀にできた最も新しく大きな溶岩ドームである。沢尻湾に面する南東斜面は大きく崩壊し、崖錐性の斜面をなしている。今回、いくつかの地点での崩壊発生が、植生の破壊状況から推定される。
no.4-4
写真-5 神戸山溶岩ドーム北斜面の崩壊
神津島の北端に位置する神戸山は、標高269mのほぼ円形をなす溶岩ドームである。北斜面には、複数の崩壊があり、周回道路は写真右端のトンネル出口が終点となっていた。今回、いくつかの地点で、新たな崩壊があったようにみえる。
no.6-6
写真-6 沢尻湾南側の崩壊
沢尻湾は、波静かな海水浴場で有名である。南側の道路の法面で2箇所の崩壊が生じている。崩壊したのは、対策工の行われていない、最上部の未固結堆積物のようである。
no.10-2
写真-7 名組湾南方の道路わきの崩壊
名組湾溶岩の分布域の斜面最上部の、未固結堆積物が崩壊した。崩壊の規模が大きいほど、遠方に達していることがわかる。
no.7-8
写真-8 多幸湾三浦漁港弁財天付近の崩壊
多幸湾にある三浦漁港の背後の道路では、法面を保護していたフリーフレームごとすっぽりと崩壊している。 
no.3-8
写真-9 都立神津高校近くの崩壊
前浜海岸に面した白ママ層の崖は、未固結で各所で崩壊を起こした。都立神津高校の西側の崖も一部で崩れた。 
no.12-6
図-1 斜め写真撮影位置図*1

*1)位置図の背景には、国土地理院作成の1:25,000地形図「神津島」の一部を使用しました。

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